【終活日誌 2014年9月号】

~三浦 紀夫 僧侶編~お坊さんから聞いたちょっといい話

父の命終

阪神淡路大震災のあった年(1995年)の11月25日、私の父は命終いたしました。満59才でありました。直接の死因は、「大腸がん」という事になっていますが、それは、書類上の事であり、私には実感のない話でありました。

当時の私は、今日は北海道、明日は沖縄というように全国を飛び廻っているようなビジネスマンでありました。
「もう危ないかもしれない」と母から知らせがあったのは、その年の10月でした。
その時、私は、大きなプロジェクトのリーダーとして九州に派遣されていましたので、内心『葬儀に参列できないかもしれない』と覚悟しました。1日だけ休みが取れたので、急きょ大阪に戻り、父の入院する病院へ駆けつけました。
「危篤状態」が続いていたはずでしたが、その日は少し会話ができる状態でした。これが「最期」と腹をくくって病院を出たことをよく覚えています。

プロジェクトは無事終了し、大阪の自宅に戻ってしばらくたった時、その日はやってきました。土曜日でした。朝から病院に駆けつけると、荒い呼吸が続いていました。
そんな父の手を両手でしっかり握った妹が、「もういいよ。よく頑張ったね。ゆっくり休んでね」と静かに言い続けていました。妹は当時28才、助産師の卵でした。
私は、この場面で父に向ってそう語りかける事のできる妹が、頼もしく思えました。妹は見習いの立場といえど、「いのち」の現場で仕事をしていました。「新 しい命」をこの世に迎えるお手伝いが仕事です。だから、父がこの世での命を終えていく、新しい世界「お浄土」へ生まれ変わる事が、感覚としてわかっていた のかもしれません。

通夜での経験

翌日の通夜は、日曜日だったのにも関わらず、大勢の皆さんが駆けつけてくださいました。そのほんとんどが、私の会社関係者か妹の病院関係者でした。父は親兄 弟がいない身の上でしたから、ひっそりとしたお葬式を想像していた母は、びっくり仰天しておりました。故人である父を直接知る人は、ほとんどいません。し かし、私、妹、そして母に対し皆さんが寄り添ってくださいました。入院中だった私の同僚もその一人でした。奥さんに付き添われてタクシーでやってきてくれ た彼は、1通の手紙を置いて帰りました。上手くまとまっている文章ではありませんが、父の人生を褒め称える言葉が書かれてありました。

僧侶として看取りの現場にたつ

父の命終。
それが、現在、僧侶として看取りの現場に関わる仕事をしている私の原体験となっています。息を引き取る瞬間が近づく患者さんの手を握り「よく頑張りました ね」と、語りかける事。通夜の席で、その方の人生を褒め称える話をする事。すべての原点が、そこにありました。そして、「死」は「いのちの終わり」ではな く、先行く人が「仏(ブツ)」となっていく過程なんだと実感できている気がいたします。

父の葬儀が終わってのち、病院へ御礼の挨拶に参りました。そこで、看護師さんから「あなたのお父さんは、毎日毎日あなた達の幸せを願ってお祈りしてましたよ」と聞かされました。私は、その姿が目に浮かび、胸が熱くなりました。
そして、「往生」を確信したのであります。南無阿弥陀仏。

真宗大谷派瑞興寺僧侶(衆徒) NPO法人ビハーラ21事務局長
三浦紀夫(みうらのりお)

実父の命終をきかっけに「往生」を確信する。その後、10年間にわたり大手百貨店にて仏事相談を担当し1万件以上の満中陰法要に関 わる。現在は、看取りから葬儀まで患者さん、ご家族さんに寄り添う僧侶(ビハーラ僧)として活動しながら、その普及と人材育成に取り組んでいる。

NPO法人ビハーラ21ホームページ
http://vihara21.jp

 

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