【終活日誌 2014年7月号】
~清涼晃輝 住職編~お坊さんから聞いたちょっといい話
皆さん、「お布施」と言われると僧侶(お坊さん)への読経などの謝礼とイメージされる人が多いようですが、本来それだけを示す言葉ではないことをご存じでしょうか。
布施というのは「布」分け隔てなく「施」ほどこすという意味です。つまり、見返りを期待しない(損得勘定のない)行いです。 私たちの日常生活には、地位や財産がなくても心掛け一つで誰もが簡単に周囲に幸せを与えることができ、自分も幸せになれる方法「無財の七施」(雑宝蔵経という経典でお釈迦様が説法)があります。
この素晴らしい「無財の七施」が今の乱れる世を救い人々の道標となるでしょう。 自分が与えられて嬉しかったことは、きっと自分が与えた場合でも相手も嬉しいのではないでしょうか。それを相手が喜んでくれれば、また自分も幸せな気分になります。 よく「無償の愛」といいますが、母が子に乳を与えるように「慈しむ愛」父母や先祖を尊ぶ「敬愛」ただ相手のことを思う心や行為が尊く人間らしいのではないでしょうか。 例えば、自分が怒ってばかりいると常に喧嘩が絶えないでしょう。いつもニコニコされ「こんにちは」と気さくに声を掛けて下さる方に会うと、こちら まで楽しい気分になり話が弾み「あっ、もうこんな時間に…!」何てこと皆さんにも経験があるのではないでしょうか。人は笑顔や言葉で元気を出し穏やかな気 持ちになります。心温まる行為により感動し感謝の念を抱きます。 |
一般的に、持っている者が、持っていない者に与えることにより「~してやった」という気持ちが心のどこかにあると、いつか見返りを期待し「あんなにしてやったのに!」と腹を立てますが、それは貧しい心です。
相手の喜びを我が喜びとし、相手の苦しみを我が苦しみとする心に人としての道が開かれ、その布施を実践するとき自ずと幸せを与えられるのではないでしょうか。
人は全ての生命と共存しながら生かされています。昨今布施は、共に支え合い、助け合う絆と呼ばれる輪になり、ただ純粋に相手のことを思いやる身心 です。その思いやりに満ちた心が通じあえたなら、幸せな人間関係が形成され、世の中は素敵な繋がりとなり、幸せな人生が歩めるでしょう。この世は、全ての 存在が支え合い繋がっているのですから、必ず互いに何かの種を蒔き育て開花させ続けています。せっかく蒔く種であるならば善き種を蒔き、互いに成長しなが ら美しい花をみたいものです。
我々は、先祖から受け継いだこの世と身体の布施に深く感謝し、自然・植物・動物・人間の全ての生命を思いやり、相手を慈しみ敬うことが大切です。布施の行いは、少しの意識と努力で誰もが幸せになり、人の道を照らす道標となり豊かで穏やかな日々が訪れるでしょう。
ただ、布施を行うことが生きる力となり、生かされている幸せをつかむのです。
人の役に立つ喜びは、どんな細やかな行為でも、些細な言葉が人の喜びとなり、幸せとなるのです。
清涼晃輝
臨済宗妙心寺派長昌寺住職、行政書士 田口 誠道(たぐち せいどう)
少林寺 住所:岡山県津山市中北上1150 TEL:0868-57-2303 eメール:seiryo-k@mx1.tvt.ne.jp 【少林寺ホームページ】http://www.shorinzenji.com/ プロフィール曹洞宗 少林寺 住職 |
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